砂糖の歴史は古い!奈良時代にもたらされた
砂糖と日本人の関わり
現在、お菓子や料理に欠かせない「砂糖」はもともと日本でつくられていたのではありません。古くは遣唐使船によって中国から持ち込まれたともいわれ、高級品として贈り物などに利用されていました。海外との交易が盛んになった16世紀末には、宣教師などにより金平糖やビスケットなどの砂糖を使った菓子が持ち込まれ、ヨーロッパ文化との接触により、砂糖が一般に普及しはじめました。
長崎から佐賀を通り、北九州・小倉を結ぶ、25宿、57里(約 224キロメートル)の長崎街道を別名「シュガーロード」とよびます。西洋や中国、海外から貿易港として栄えた長崎へ持ち込まれた砂糖やお菓子が長崎街道沿いに広まり、独自の砂糖文化が発展。現在も魅力ある西九州エリアのスイーツ地帯を形成しています。
砂糖の歴史は古い!奈良時代にもたらされた
砂糖と日本人の関わり
現在、お菓子や料理に欠かせない「砂糖」はもともと日本でつくられていたのではありません。古くは遣唐使船によって中国から持ち込まれたともいわれ、高級品として贈り物などに利用されていました。海外との交易が盛んになった16世紀末には、宣教師などにより金平糖やビスケットなどの砂糖を使った菓子が持ち込まれ、ヨーロッパ文化との接触により、砂糖が一般に普及しはじめました。


天ぷら、カステラの製法も長崎へ
奈良時代に日本に初めてもたらされた砂糖は大変貴重で、薬として珍重されるほどでした。その砂糖が広く日本に広まりだしたきっかけが、16世紀末にはじまったポルトガルとの貿易でした。砂糖が輸入されるようになると、同時に「天ぷら」などの南蛮料理や、「カステラ」「金平糖」などの南蛮菓子の製法も長崎に伝わり、独自の発展を遂げていきました。

天ぷら、カステラの製法も長崎へ

奈良時代に日本に初めてもたらされた砂糖は大変貴重で、薬として珍重されるほどでした。その砂糖が広く日本に広まりだしたきっかけが、16世紀末にはじまったポルトガルとの貿易でした。砂糖が輸入されるようになると、同時に「天ぷら」などの南蛮料理や、「カステラ」「金平糖」などの南蛮菓子の製法も長崎に伝わり、独自の発展を遂げていきました。
砂糖、大量輸入時代へ
砂糖、大量輸入時代へ
オランダや中国との貿易が盛んになると、18世紀には年間1500tから2000tの砂糖が輸入され、大量輸入時代を迎えます。出島や新地などで陸揚げされた砂糖は一旦、砂糖蔵へ貯蔵されました。その後、長崎会所で一括購入されたのち国内商人に入札され、日本全国へ流通しました。

オランダや中国との貿易が盛んになると、18世紀には年間1500tから2000tの砂糖が輸入され、大量輸入時代を迎えます。出島や新地などで陸揚げされた砂糖は一旦、砂糖蔵へ貯蔵されました。その後、長崎会所で一括購入されたのち国内商人に入札され、日本全国へ流通しました。


多様化する砂糖の流通形態
幕府直轄の貿易都市、長崎の町では海外から持ち込まれた砂糖が、様々な形で市中に出回ります。例えば、オランダ商館員や中国人たちが出島や唐人屋敷に 特別に出入りを許されていた丸山遊女たちに贈るプレゼント。遊女たちはもっぱら砂糖を銀に換えました。また、中国人たちは長崎の興福寺や福済寺など、唐寺と呼ばれた黄檗宗寺院に、莫大な量の砂糖を寄進しました。
多様化する砂糖の流通形態

幕府直轄の貿易都市、長崎の町では海外から持ち込まれた砂糖が、様々な形で市中に出回ります。例えば、オランダ商館員や中国人たちが出島や唐人屋敷に 特別に出入りを許されていた丸山遊女たちに贈るプレゼント。遊女たちはもっぱら砂糖を銀に換えました。また、中国人たちは長崎の興福寺や福済寺など、唐寺と呼ばれた黄檗宗寺院に、莫大な量の砂糖を寄進しました。
シュガーロードマップ

